反出生主義

高校時代、反出生主義に関する本を集めていた。あの頃は「子供」や「作らない」などのキーワードをgoogle scholarに入れて検索し、当てはまった本を全部買っていた。今は反出生主義に対する学術的な関心が薄れた。興味が薄れたのは、反出生主義が倫理学・哲学的に正しいのかどうかという命題は、自分にとって何の意味もないということに数年前に気がついたから。

トーマス・ベルンハルト

子供時代はずっと絶望の時代に他ならなかった。両親は僕を愛さなかったし、僕も彼らを愛さなかった。彼らは僕を作ったことで僕を許さなかった、一生ずっと彼らは僕を作ったことで僕を許さなかったんだ。もし地獄があるなら、そして無論地獄は存在するが、と彼はいった、僕の子供時代こそ地獄だった。おそらく子供時代なるものはつねに地獄なんだ、子供時代は地獄そのものだ、と彼は言った、どんな子供時代であろうと、それは地獄なんだよ。

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地獄はこれからやってくるもんじゃない、地獄はもうそこにあったんだ、と彼は言ったのだった、なぜなら地獄とは子供時代のことなんだから。

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いいかね、この子供時代の穴から脱出するためには、両親には決定的に死んでもらわなければならん、本当に永久にだよ。

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僕の両親は僕を作り、自分達が何を作ったのかに気がついた時、驚愕して、僕のことをできるなら、起こらなかったことにしておこうとした。でも僕を金庫にしまい込むわけにはいかなかったので、僕を暗い子供の穴に突き落としたんだ、そこから僕はもうずっと長いことお抜け出せなかった、両親とはいつも無責任に子供を作るもので、自分達が何を作ったのかを見て驚愕するんだ、だからいつも、子供が生まれると、ただ驚愕した両親にしか会えないんだよ。1人の子供を作る...というのは、やはり重大な不幸を世に生み出し、世にもたらすということでしかない...

僕たちは一生ずっと、人言を製造した罪で両親を告訴もしないで、労ってやっているんだ... やつらは二つの罪、二つの重罪を僕に対して犯したんだ、と彼は言ったのだった、やつらは僕を生み出し、やつは僕の自由を奪い去った、断りもなく勝手に作っておいて、僕を生み出し世界に放り込んだのと同じようにして、僕の自由を奪い去ったんだ、僕に対して人間製造の罪と抑圧の罪を犯したんだ...

僕は祝宴嫌いなんだよ、と彼は言ったのだった、子供の頃から僕は祝いと名がつくものはどれも大嫌いだった、とりわけ誕生日が祝われるとき、それがどんな誕生日だろうと嫌だったし、なかでも嫌でたまらなかったのは、両親の誕生日祝いだった、どうして人間は何かの誕生日や自分の誕生日を祝えるんだろう、と僕はいつも思ったもんだよ、だってそもそもこの世に生まれるなんて不幸以外の何ものでもないじゃないか、そうだ、と僕はいつもこう思ってきたんだ、誕生日には黙祷を捧げる時間を、いわば父母から犯罪行為を受けた時を忘れないように想起する時間として、導入するならば、それなら僕にも理解できる、しかしそれを1日祝うだなんてちとも意味が分からない、と彼は言ったのだった。

(古典絵画の巨匠たち, pp. 102-111)

村上春樹

「子供欲しかった?」

「いや」と僕は言った。「子供なんて欲しくないよ」

「私はずいぶん迷ったのよ。でもこうなるんなら、それでよかったのね。それとも子供がいたらこうならなかったと思う?」

「子供がいても離婚する夫婦はいっぱいいるよ」

村上春樹羊をめぐる冒険」pp. 37-38)

「子供は作らないの?」とジェイが戻ってきて訊ねた。「もうそろそろ作ってもいい年だろう?」

「欲しくないんだ」

「そう?」

「だって僕みたいな子供が産まれたら、きっとどうしていいかわかんないと思うよ」

ジェイはおかしそうに笑って、僕のグラスにビールを注いだ。「あんたは先に先にと考えすぎるんだ」

「いや、そういう問題じゃないんだ。つまりね、生命を生み出すのが本当に正しいことなのかどうか、それがよくわからないってことさ。子供たちが成長し、世代が交代する。それでどうなる。もっと山が切り崩されてもっと海が埋め立てられる。もっとスピードの出る車が発明されて、もっと多くの猫が轢き殺される。それだけのことじゃないか。」

...

ジェイはしばらく考えて、それから笑った。「でもそれを判断するのはあんたたちの子供の世代であって、あんたじゃない。あんたたちの世代は......」

「もう終わったんだね?」

「ある意味ではね」とジェイは言った。

「歌は終わった。しかしメロディーはまだ鳴り響いている」

村上春樹羊をめぐる冒険」pp. 155-)

妻が別れ際に、子供を作るべきだったのかもしれないわね、と言っていたことをふと思い出した。たしかに僕はもう子供が何人かいてもおかしくない歳なのだ。しかし父親としての自分を想像してみるとどうしようもなく気が滅入った。僕が子供だとしたら、僕のような父親の息子になりたいとは思わないだろうという気がした。

村上春樹羊をめぐる冒険」pp. 240)

「子供のことを考えろよ」と僕は言ってみた。フェアな展開ではないが、それ以外に手はなかった。「弱音をはいてなんていられないだろう。君がダメだと思ったら、それでもうみんなおしまいなんだぜ。世界に対して文句があるんなら子供なんて作るな。きちんと仕事をして、酒なんか飲むな」

村上春樹羊をめぐる冒険」pp. 253)

村上:ぼくの場合は、子供が産めないですね。産んでいい、と言う確信がないんです。ぼくらの世代が生まれたのは、昭和23、4年なんですけど、戦争が終わって、世の中はよくなっていくんじゃないかという思いが、親の中にあったんじゃないかな、と言う気はするんですが、ぼくは、それだけの確信はまったくないですね。

五木寛之「風の対話」p. 33)

埴谷雄高

埴谷:さっきニヒリズムということがありましたけど、自分でいろんなことを考える決着がつくまでは子供は作らないとは思ってた。いまだに『死霊』は終わらないんだから決着つかないですね。そういう点では、ぼくの女房は非常に気の毒だった。「オレ自身は考えるために生きているわけであって、子供を作るために生きてんじゃない。ダメだ!」って、これこそスターリン

それでね、僕が女房に悪いのは、三度ぐらいできたかな、全部堕胎したんです... 三べん堕したあと、子宮が非常に悪くなって戦争中でしたけど子宮自身を取っちゃった。

立花:自分の考えの決着がつくまでは子供をつくらないということは、子孫を作り続けて人類が生き延びることが錯誤だと...。

埴谷:いや、そういうことじゃなくて価値判断の問題ですけど、私、つまり我々にとって重要なことは自分自身を知ることだと言ったのはターレスなんですけどね。...自分が存在するということは、ある意味の宇宙にとって価値があるかどうか。これは、宇宙というのは無関心だから価値があるかどうか分からない。ぼくが測定するわけだけど、これがわかるまでは自分を絶対増やさない。論理的なんです。僕の女房は本当にかわいそうだった。

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立花:「死」の問題は、どうお考えですか。

埴谷:そりゃ「死」は生まれれば必ずある。生まれるのはどうお考えですかと言うのと同じですよ。生まれるのは、自分が生まれようとして生まれたわけじゃない。勝手に親がつくったわけですね ... 自分じゃないものが勝手にやってるわけだから、生まれるのも死ぬのもしょうがないんでしょう、これ。それを逃れるためには自殺しかないわけです。だから、よほど考えた人は自殺してますよね。ぼうの親友の中にも、人言が自分の自由意志でできることは何かといったら二つあると言って、一つは子供をつくらないこと、一つは自殺ということ、これは、『死霊』にも出てくる。

埴谷雄高 and 立花隆「無限の相のもとに」平凡社, 1997, pp. 195-196, p. 293)

吉行淳之介は「生まない性」ですが、埴谷雄高もまた結婚はしましたが、子供はいません。 彼が日大の学生で十八歳、奥さんは演劇志望の十九歳。奥さんに惚れられて結婚したと埴谷雄高はいっています。奥さんが妊娠するたびに中絶させて、とうとう子供を作らなかったのです。奥さんには残酷なことです。中絶につぐ中絶で奥さんは子宮筋腫になり、子宮を取り除く 手術までするという人生を送りました。 なぜ、子孫を残さない人生を送ったかといいますと、自分の在り方、生き方がしっかりでき ないのに、子供を作るわけにはいかない、ということです。革命家は自分ができなかったことを子供に引き継がせようとするが、そうしたことはよくない。子供に引き継がせるようなもの は、革命じゃない。自分でやらなくちゃいけないんだ。一種の無責任さに対する批判ですが、 女房にはずい分と無理なことをいったな、と年を取ってから反省をしています。

(石田健夫「虚無を生きるスタイル:三島・川端・吉行・埴谷の死生観」)

五木:ところで埴谷さんは、奥様のことは余り書かれないんですが...

埴谷:書かないんですね。女房は気の毒で、ボクの子供を持ちたかったわけだけれど、それをだめだといったものだから...。

五木;それはうちも同じです。

五木寛之五木寛之対話集:正統的異端」深夜叢書社, 1996, pp. 297)

吉行淳之介

敗戦直後には、説得することにさして苦労はなかったろう。大部分の日本人は、生まれてきたことに懲懲していたから、「生まれてくる子が可哀そうだ」という言い方が、容易に受け入れられた。... 20年前、1人の娼婦の口から出た「ついでに生きている」という言葉は、それと同じ内容をさまざまな表現で言い現すことができる。いずれにせよ、私は現在でも「ついでに生きている」という気分が、心のどこかにある。そういう気分で生きている人間が、子供を持つことは無意味としかおもえない。したがって、私には子供はいない。しかし、私の気持ちは、しだいに時代遅れになってきたのだろうか。「ついでに生きている」ことは、敗戦後の一時期の流行に過ぎなかったのだろうか。「子供がいない」と言うと、胡散臭い眼で見られることが、時代の流れとともに多くなってきた。

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天下は泰平だな、と私はおもった。何年も先のことが考えられる時代だ。それが架空の未来にならないという保証はどこにもない。危険な兆候はいくつも芽を出している。それにもかかわらず、私自身何年も先のことを、宇田青年とは全く違う形でだが、考えている。私の青春の一時期は、アメリカの飛行機の空襲がつづく日々と重なっており、結婚の計画どころか、次の日のあいびきを生きて果たすことができるかどうかも、分からなかった。... 「今の時代に生まれてくる子供になって考えると...。君は生きていることが苦痛ではないようですね」

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北国の冬は長い。ほかに娯楽の手段を知らない人々は、長い冬の夜を、夫婦睦み合って過ごすしかない。その結果、子供が生まれる。貧乏人の子沢山。欲しくて生まれる子供ではない。つい先頃まで、青森のひとたちは、痩せて影の薄い子供を見ると、「あれア、キヌトオシだ」と言った。子供が増えると、コンドームなどと言う文明の力を持たなかった夫は、正規の先に、絹の布をまきつけて交合した。それで妊娠が防げるわけではない。絹を通して生まれた子だから、キヌトオシである。キヌトオシでも、生まれただけ幸せなのか、あるいは不幸なのか...。

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「生まれて来なかったら、一番よかったのよ。」

「そう言ってしまっていいかな。生まれてきたことに、あの子供たちは責任はない」

「産んだ親にも、責任はないわ」

私は黙って、マキの顔を見ていた。... あの意志の強そうな男の子が、将来、成功し出世し、大金持ちになることだって想像できる。しかし、そうなったから、どうだというのだ。私の目蓋の裏側で、唾液に濡れたドロップの紫色が揺れている。

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症状が、透明な色のビニール袋を提げて帰ってきた。水の入った小さい袋の中に、橙色の短い線のようなメダカがいっぱい詰まっている。気持ちが弾んだ。袋の口をほどき、池上に中身を注いだ。勢いよく出したつもりはなかったのだが、弾んでいた気分のために、袋の中身が池の面に突当たった。次の瞬間、150匹のメダカは腹を横や上にして、池の底に横たわってしまった、びっしり引き詰めたようになったそこ魚からは、明らかに、なまなましさが立ち昇ってきた。衝撃を、受けた。

死屍累々という言葉を、私は思い出した(意識の底のほうで、動いたものに私は気づいていた。昭和20年5月25日の夜、東京に最後の大空襲があった。防空壕に入らず空を見ていた私の左右5メートルずつのところに、いくつかの焼夷弾を束ねる役目をする太い鉄の筒と、焼夷爆弾が落ちてきた。)

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夏枝の声が聞こえてきた。

「あたし、どうやら子供は出来ない躰になったらしいわ、さいわいなことに...」

「ほんとに、さいわいなこと、とおもっているのか」

「中田さん、子供が欲しいの」

「嫌だね」

「そうでしょう、だから、さいわいなのよ」

と、夏枝が言った。

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しかし、自分の子供を持ちたいという気持ちは、くわしく探してみたが見つけることはできなかった。不意に、夏枝の子宮へ向かってゆく私の精液が、抽象画のような形で眼に浮かんだ。それは、あきらかに生殖とは切り離された性行為である。新しい生に受け継がれるものではなく、死に近づいてゆく行為を激しく繰り返しているという気持ちが、ゆっくり躰の中を通り過ぎてゆく。

吉行淳之介「暗室」pp. 56, 58-59, 89-90, 96, 124, 186, 206, 252)

「生まない性」の虚無とダンディズム:吉行淳之介

 吉行淳之介は、性をテーマにした日本の文学に革命的な展望を開いたと思います。ポルノグ ラフィーのセックスではなく、人間の存在にかかわる問題としてのセックスとは何かが、テー マになっています。セックスとは生殖のためですが、彼の後期の作品には「生まない性」が出 てきます。「生まない性」とはどんなものかといいますと、先ほどの若い編集者が「結婚した ら息子と娘ひとりぐらいは欲しいですね」と答えていますが、吉行淳之介には、明日のことな どわからないじゃないか、という一種のニヒリニズムがあります。そうしたなかで、子供を生 んで育てることなど考えられません。それを取り上げているのが『暗室』です。

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「生む性」が我慢ならない。戦争中に追い込まれた絶望的な状況、つまり明日もわからないな かで、どうして子供を生むのだ。命の繋がりが我慢ならない。命は自分のところで断ち切れば いいと思ったのでしょう。性とは新しい生に受け継がれる行為ではなくて、死に近付く行為と 考える吉行淳之介にとって、子供を生むことは嫌うべきものだったのでしょう。 現実には別 れた奥さんとの間に娘さんがいて、その娘さんにもお孫さんができていて、実際の命の繋がり はあるのですが、それは若いころの結果で、過去を消すわけにもいきません。生まないという ことは、戦中派の覚悟のようなものです。ニヒリスティクに生きるしか彼のような感性の人間 にはできない時代だったのです。すべてが虚しいということをわかるために生きているということが、結局、主人公の現在の心の形ということになります。 それが小説のなかに書かれた生と死の繋がりとして見えます。彼の人生観というか、死生観 は、病気と戦争が心のなかに根強く植えづけたということになるでしょう。それが作品の基調 になっている、ということを申し上げたいと思います。こう述べてきますと、吉行淳之介は大変ニヒルな生き方をしたように思う方もいるでしょうが、付き合った印象としては優しい、兄貴分みたいな人でした。こまやかな気の使い方を知っている人でした。

(石田健夫「虚無を生きるスタイル:三島・川端・吉行・埴谷の死生観」)

 

戦中派のダンディズム:吉行淳之介

「それらの物語に通底するのは、あえて図式化すれば、産む性と産まない性、という二項対立である。」

(石田健夫「戦後文壇:畸人列伝」)

深沢七郎

結婚しない決心

記者:ところで深沢さん、どうして結婚なさらないんですか。女嫌いですか。

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深沢:僕はいろいいろ束縛されるのがいやですからね。それから感謝されるのがいやですね。それが今まで一番いやなんです。責任をもつということが大嫌いなんです。

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深沢:責任をもたされるということは、子供が生まれるでしょう。最初から子供はtsくらないという...それは自分がめんどうくさいばかりじゃなくて。人の子供はおもちゃにできるからいいんですがね。親戚の子供やなんかだったら責任がなくて、ほらほらなんて...また子供がこっちになつきますからね。人の子供じゃつまんないだろうというけど、僕はかえって気楽ですね。一回子供が死んじゃったことがあるんです。それですっかりいやになっちゃった。

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深沢:でも僕ははっきり、絶対結婚なんてしないぞ、子供も絶対作らないぞときめたのが、32だか3ごろですね。

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深沢:大体僕は地球上に人間がふえるということが反対ですね。子供は1人でいいじゃないですか。

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深沢:もう、もう...。子孫をふやすのはわずらいを残すばっかりでね。

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深沢:ボクは大体、子孫増やすこと嫌いなんです。タマシイなんか増やさない方が良いよ。ほんとに可愛い子だったら、この世の中に生まれさせないね。みんな、子供欲しいのは、親のおもちゃか、欲深な感じでこしらえてるね。自分の片腕にしようとかね。自分が結局、楽をしようってことだから。親孝行、親孝行ったって、今の時代では親孝行なんかできやしないから親孝行不可能論ていうのを書こうと思ってる。... させようと思う方がまちがってる。子供に見てもらうつもりで子供をうんだら、大変悪い親ですよ。

深沢七郎深沢七郎の滅亡対談」pp. 76-78, 80, 96, 313-314)

深沢:私はずっと以前に、自分の子供みたいな、まあ本当の子供じゃないけど、子供があったわけけですね。それが死んじゃってから、もうオレは子供なんて自分でも絶対につくらないぞと思いましたね。... ええ。その子は女の子でしたけど、病気でポッと死んじゃったんですけどね。私が抱いていると、私のズボンだろうが着物だろうが、まるですだれみたいに擦れ切れてしまうくらい抱いていましたね。それがポッと死んだ時に、オレはもう子供はつくらないぞと決心した。7つぐらいまで大きくなって、死んだんですけどね。五木さんも子供を作らないと言うのは、実は最高にかわいいもんだから、もしそれを失くす時のことを考えると怖くて...

五木:そういうところもあるのかもしれませんね。

深沢:犬を飼って、犬に死なれると、犬は一生飼わないという人があるでしょう。そういう心理があるんですよ。ところがまた別の犬を飼う人がある。私はこういう人こそ信用ならないと思うんですね。

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五木:結局、深沢さんは優しすぎるんですよ。だから浅く契って生きようと...

五木寛之五木寛之対話集:正統的異端」深夜叢書社, 1996, pp. 114)

芥川龍之介

「僕は生まれたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでもへんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」

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「何のためにこいつも生まれて来たのだろう?この娑婆苦の満ち満ちた世界へ。何のためにまたこいつも己のようなものを父にする運命を担ったのだろう?」しかもそれは彼の妻が最初に出産した男の子だった。

芥川龍之介「河童」pp. 76, 214-215)

高杉征樹

まず、私が考えるに子供を産むということはそもそも残酷なことだと思います。子供を産むと言うことはその子供が必ず死を経験するということです。人間は放っておいてもいずれ死にますが、生まれなければ死ぬことはないので、子供を産むことは殺人以上に残酷と感げあることもできます。それを承知で子供を産む人は「人生はとても楽しいので、死ぬことをそれで相殺してなお素晴らしいものだ」と考えるのでしょうが、それは本当にそう思う人はいいかもしれませんが、その子供もそう思ってくれるかどうかはわかりません。自分の考えを押し付けるのは問題があるでしょう。

私としては人生なんて苦しいことの方が楽しいことより全然多くて、そう思ってない人はただ自分の人生を美化しようとしている人か、あるいはラッキーな人だと思っています。

... しかし、それでもほとんどの人は子供を産もうとするわけで、それはなぜかといえば、単に種の保存が最優先事項としてプログラムされた遺伝子が呼ぶ衝動によるか、あるいは自分のためだと思います。

...子供を産むことは悪いことだとは言いませんが、子供を産んではいけないということが、子供を産もうとする本人たち...意外にとって利益であるはずがないのです。

(高杉征樹「不老不死の追及」文芸社、2005)

柳瀬尚紀

子供をつくらない主義に徹底的的であること

アイウエオ順戦法でいく。

まず、魔的かつ悪夢的にいえば、子供はたんにギャーギャー泣き喚くうるさい生き物でしかなく、... 宙論的に言えば、宇宙の滅びることは自明であるから子供をつくるのはエネルギーのむだにすぎず、世的にいえば、この住みにくい世の中にまたまた子供を送り出すのは冷酷とすらいえないことはなく、... 無的に言えば、ごくあっさり、子供をつくってもしょうがないと言う気持ちがふかく根をおろしていて、もはやいかなる引っこ抜くことが不可能であるし、また引っこ抜こうと努力するつもりもなく、... 

柳瀬尚紀「翻訳からの回路」白揚社1984、pp. 192-204)